刀銘・龍神太郎源貞茂
鋼に宿る魂
「刀銘・龍神太郎源貞茂」
「龍神太郎源貞茂」の刀銘で、父を継いで自家製鋼にこだわった日本刀を作る刀工・安達茂文さんをご紹介します。
刀銘・龍神太郎源貞茂
日高川の支流・丹生ノ川沿いの殿原という集落に「龍神太郎源貞茂」こと安達茂文さんの鍛錬場はあります。
龍神という地名、雄大な自然に抱かれた環境、高野山や本宮大社に囲まれた土地柄-。「何か大きな力を受けて刀を作っているという、宿命のようなものを感じるんです」
刀剣作りは父・貞楠さん(故人)の代から始まりました。貞楠さんは若いころ、林業用の鉈(なた)や斧(よき)を作る集落の刃物鍛冶でした。戦時中、軍刀を作るために招集を受け、月山流の手ほどきを受けました。
戦後、チェーンソーの普及などによって刃物文化が変わるのを機に、経験を生かして「龍神太郎源貞行」の刀銘で刀工としての活動を始めました。
15歳で父に弟子入り
茂文さんは1958年生まれ。小学生のころには、すでに父は刀剣作りを始めていました。中学校卒業直前、祖母の「いつも父の苦労を見てきたからこそ、継ぐべきではないか」という言葉に決心。15歳の春、両親の猛反対を押し切って、父に弟子入りしました。
22歳で、人間国宝の刀匠・月山源貞一(故人)に師事。奈良県にある師匠の鍛錬場にほかの弟子たちとともに住み込み、約3年修行を積みました。「刀のことはもちろん、人とのつながりなど人間として多くのことを学び、貴重な財産になりました」
隠居する父の跡を継ぐために帰郷。いとこの安達和喜さん(刀銘・源貞和)とともに創作を始めました。
日本古来の刀剣づくり
日本刀の鍛錬は、国産の砂鉄から鋼を作り出す日本古来の技法。安達さんは、純度の高い島根県産の砂鉄を使い、自家製鋼にこだわっています。
刀剣作りは大きく分けて「製鉄」「鍛錬」「焼き入れ」の3工程があります。
砂鉄を長時間掛けて炉で熱し、刀の材料となる「玉鋼(たまはがね)」を作るのが製鉄です。
玉鋼を1300℃以上に熱した松の炭の炉に入れ、真っ赤になったところをハンマーで打ち込んで折り返します。これを鍛錬と呼び、20回ほど折り返します。
「日本刀は折れず、曲がらず、よく切れなければならないんです」と安達さん。曲がらずよく切れるためには、刀身が硬くなければなりません。一方、硬いということは脆(もろ)さをはらむため、粘りも必要です。
「硬さ」と「粘り」、この相反する性質を併せ持つのが日本刀の真骨頂。鍛錬する中で、芯の部分には粘りのある鋼を使い、切る部分は硬い皮鉄(かわがね)で補強するのです。安達さんは硬軟異なった4種類の鋼を使い分けます。
最後に、赤く加熱した刀身を水に漬け、刃先を中心に刀を強くします。これが焼き入れです。
理想の日本刀を描きながら
「”できない”ところがおもしろい」。安達さんは、刀づくりの魅力をこう表現します。父も常々口にした言葉です。35年以上鋼と向き合っても、理想である鎌倉時代の名匠による古刀は遠い存在です。
「しかし、まったく手掛かりないかというとそうでもない。時々、鋼がヒントを見せてくれるんです」。研師から完成した刀が戻ってきた時、どこかにおもしろい部分ができてくるのだそうです。高いレベルを保って製作する中で生まれる偶然と必然の重なりに「わくわくする」と言います。
「次の代になるかもしれませんが、もう少し時間があれば何か大きなヒントを残せそうです」。安達さんは言います。
父の試行錯誤や失敗も胸に、炎の色や火花の出方、におい、音、肌で感じる温度など五感をアンテナに鋼からのシグナルに全神経を集中する毎日です。
とにかく納得するものを
安達さんの刀剣はすべてオーダーメード。自分の退職記念に家を守る家宝としてや、嫁ぐ娘にお守りとして持たせるなど、それぞれの人生のドラマや思いがあります。
依頼を受けると、最低でも同じ刀を3本製作し、最も良い物を残します。3本とも納得できない場合は一から作り直すこともあり、約1年かがりの仕事になります。とにかく納得するものだけを残すため、作品として世に出るものは年間で10本ほどしかありません。
龍神観光協会
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